深大寺
Jindai-ji · Jindaiji · 浮岳山昌楽院深大寺
AIの支援を受けて調査・翻訳しています。記述には出典を付けていますが、誤りが残ることがあります。参拝時間・料金・閉鎖の有無は公式サイトでご確認ください。このサイトについて
ひとことで言うと
733年創建と伝える調布の天台宗の寺で、疫病を除くとされる水神・深沙大王に名を得ています。おみくじを創めたとされる僧の秘仏でも知られます。

基本情報
- 住所
- 東京都調布市深大寺元町5-15-1
- アクセス
- 京王線の調布駅・つつじヶ丘駅、またはJR中央線の三鷹駅・吉祥寺駅からバスを利用します。徒歩圏に駅はありません。
- 参拝時間
- 護摩は公表された時刻表にしたがって修され、車のお祓いは2日前までの予約が必要です。年末年始は時刻が変わりますので、公式サイトでご確認ください。
- おすすめの時間帯・時期
- 3月初めのだるま市が、この寺のもっとも知られた行事です。10月には深沙大王堂で大般若経の転読が行われ、秘仏の元三大師像が開帳されるのはごくまれです。
- 公式サイト
- www.jindaiji.or.jp
この場所について
深大寺は湧水と木立に囲まれた調布にあり、門前には蕎麦屋が並び、隣は都立神代植物公園です。寺名は水神である深沙大王に由来し、寺伝の創建は733年です。もう一柱が元三大師。寺の説明では、この天台の高僧がおみくじの創始者です。当寺の像は秘仏で、開帳はごくまれです。
由緒と歴史
寺は創建を一つの縁組の話として伝えています。開山満功上人の父・福満は、右近長者の娘に思いを寄せましたが、両親はこれを快く思わず、娘を湖の島に隠しました。福満は玄奘三蔵の故事を思い出し、深沙大王に祈ったところ、霊亀が現れてその背に乗せ島へ渡してくれたといいます。両親はこの霊験を知って結婚を許し、そこに生まれたのが満功上人でした。
満功上人はのちに父の願を果たすために出家し、奈良で法相の教えを学びます。帰郷して堂を建て、深沙大王を祀りました。寺伝では733年のことです。淳仁天皇が寺号の勅額を下賜し、大般若経の転読を恒例と定めて、鎮護国家の道場としたと伝えられています。
860年ごろ、武蔵国の国司であった蔵宗が乱を起こし、比叡山の恵亮和尚が勅命を受けて東国へ下り、その調伏を祈りました。恵亮は深大寺を道場として密教の修法を行い、その功により清和天皇から近隣の七つの郷と当寺を賜り、深大寺は東国随一の天台の密教道場となりました。
室町の初めには、文才で知られた浄弁が当寺に住みました。その家集が残っていて、多摩川流域の社寺や家々を伝える数少ない記録になっています。江戸時代には元三大師像を両国の回向院へ出開帳しており、1765年と1816年の二度に及びます。深沙大王堂のために1267年に鋳られた磬は、寺の名を記した現存最古の資料で、2026年3月に重要文化財に指定されました。
ご利益とされてきたこと
疫病を除くとされる水神
寺の説明では、深沙大王はもともと疫病を除き魔を遠ざけるのに効験のある神です。寺名の由来となった神です。
史料に基づく亀と島と、一つの縁組
開山の父が深沙大王に祈り、霊亀の背に乗って、思う人が隠された島へ渡りました。寺はこれを自らの起こりとして伝えています。
言い伝えおみくじを創めた僧
寺の説明では、比叡山を中興した元三大師が最初のおみくじを作りました。当寺の像は秘仏で、開帳はごくまれです。
史料に基づく1267年の磬
深沙大王堂のために鋳られたもので、寺の名を記した現存最古の資料です。2026年3月に重要文化財となりました。
史料に基づく
この寺が何を願う場所なのかは、寺名になった神から出てきます。深沙大王は、寺自身の言葉によれば、もともと疫病を除き魔を遠ざけるのに効験のある神です。天竺へ向かう玄奘三蔵を砂漠で救ったのも同じ神で、福満が祈ったときに思い出したのがその話でした。毎年十月、寺は深沙大王堂で大般若経六百巻を転読します。堂内には、鬼形の深沙大王が玄奘三蔵と向かい合う画が掛けられます。このページの厄除は雰囲気ではなくそこに拠るものです。護摩の祈祷も同じで、一体ずつ、疫病を除くご利益があるとされる元三大師の御影が添えられます。
創建の話は省かずに書いておきます。寺の縁起としてはめずらしく人間くさく、そして書かないことのほうに意味があるからです。福満は長者の娘に思いを寄せ、両親は娘を湖の島に隠し、福満は祈って霊亀の背で島へ渡り、両親は折れ、その縁組に生まれた子がこの寺を開きました。この話を根拠に、深大寺はよそでは縁結びの寺として紹介されます。ですが寺自身はどこにもそう書いていませんし、当サイトでも付け足しません。男女の言い伝えがあることと、その場所が何を願う場所とされているかは別のことで、この違いこそが当サイトのページの拠りどころです。
もう一柱が元三大師です。天台座主良源のことで、正月三日に入寂したことからそう呼ばれます。寺の説明では、比叡山の堂宇を中興したことに加えて、意外なところで、最初のおみくじを作った人でもあります。当寺の像は秘仏で、まれな開帳のときだけ姿を見せます。
周りの環境が参拝そのものの一部になっている、というのもあまりない例です。寺は湧水の地に建っていて、その水はかつて下流の田を潤していました。寺が建つよりずっと前から、湧水に集まった人々の感謝が素朴な水の信仰を生んでいたのではないか、と寺は述べています。
記述ごとの根拠 7
- The temple relates that Fukuman, father of its founder Mankū, prayed to Jinja Daiō and crossed on the back of a sacred turtle to an island where the village head had hidden his daughter; her parents then permitted the match, and Mankū was born of it. 言い伝え
- The temple dates its founding to 733, when Mankū, having taken orders and studied the Hossō teaching in Nara, returned and built a hall here enshrining Jinja Daiō. 言い伝え
- The temple states that Jinja Daiō is originally a deity effective at removing epidemics and keeping demons at a distance, and that the same deity is said to have saved the pilgrim Xuanzang in the desert. 史料に基づく
- Around 860, after the Musashi official Kuramune rebelled, the monk Eryō of Mount Hiei was sent east by imperial command, made Jindai-ji his training hall and performed esoteric rites there; Emperor Seiwa granted him seven nearby villages and the temple, and it became the foremost Tendai esoteric hall in the eastern provinces. 史料に基づく
- The temple credits Ganzan Daishi, the Tendai abbot Ryōgen, with restoring the halls of Mount Hiei and with making the first omikuji. 史料に基づく
- The temple took its Ganzan Daishi image to Ekōin in Ryogoku for public showing twice in the Tokugawa period, in 1765 and 1816. 史料に基づく
- A ritual gong cast in 1267 for the temple's Jinja Daiō hall is the oldest surviving material bearing the temple's name; it was designated an Important Cultural Property in March 2026, the first such designation for a gong since 1979. 史料に基づく
参拝のポイント
作法は寺院一般のとおりです。深大寺ならではの点を挙げます。
ご本尊の元三大師像は秘仏で、寺が告知するまれな開帳のときのほかは拝観できません。ふだん堂内で目に入るものはその像ではありません。
護摩は時間が決まっています。車を前にしての祈祷を希望する場合は二日前までに電話で予約が必要です。年末年始と三月初旬の数日は車のそばでの祈祷を行わない、と寺は案内しています。
参詣できない方には祈祷札を郵送しますが、初穂料は普通郵便ではなく現金書留で送るようにと寺は求めています。
門前の蕎麦屋は有名で、週末は混みます。参拝の印象を決めるのは、境内のどれよりもこちらかもしれません。
関連ガイド
- 参拝の作法は、どこがどう示しているか手水、二拝二拍手一拝、そして寺院での合掌と焼香。全国におおむね共通する部分について、神社本庁と各寺院が自ら公表している説明をたどります。
- 「パワースポット」とは何なのか伝統的な宗教の区分ではなく、現代日本語の語彙です。言葉がどこから来たのか、何を主張していて何を主張していないのか、それでも当サイトがこの語を使う理由。
- 神社と寺——1868年が分けたもの神社は神道、寺院は仏教。ただしその線を制度として引いたのは1868年で、それ以前の千年あまり、両者は一つの体系でした。境内に残る継ぎ目と、文化庁の統計が示す数字。
- お守り・絵馬・おみくじ・御朱印の由来絵馬はもともと生きた馬の代わりであり、御朱印は納経の受取に由来します。四つについて神社本庁と宮城県神社庁が公表している説明と、御朱印をめぐる七か条。
出典
- History of Jindai-ji (深大寺の歴史) — Jindai-ji (閲覧日 2026-08-02)
- The founding and the water deity Jinja Daiō (深大寺開創と水神「深沙大王」) — Jindai-ji (閲覧日 2026-08-02)
- Goma prayers (ご祈願) — Jindai-ji (閲覧日 2026-08-02)
- Important Cultural Property, the peacock gong (重要文化財「孔雀文磬」) — Jindai-ji (閲覧日 2026-08-02)
- Jindai-ji (Q500736) coordinate location — Wikidata (閲覧日 2026-08-02)
最終更新:
近いご利益のスポット
8件
神社大國魂神社
- 金運
- 厄除け
- 縁結び
府中にある武蔵国の総社。社伝の創建は111年で、ご祭神の大國魂大神は出雲の大国主神と同じ神です。
神社大宮八幡宮
- 子宝
- 厄除け
- 縁結び
源頼義が白い雲を源氏の白旗と見て1063年に創建した、杉並の広い杜の社です。子育てと厄除で知られています。
神社明治神宮
- 健康
- 厄除け
- 縁結び
明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする1920年(大正9年)鎮座の社で、一から植えられた約70ヘクタールの森に囲まれています。今日では良縁・厄除・健康の祈願に多くの人が訪れます。
寺院目黒不動尊
- 厄除け
- 浄化
十五歳の僧が剣と索を持つ青黒い姿を夢に見たことに始まる808年創建の関東最古の不動霊場で、江戸を守った五色不動の一つです。
神社赤坂氷川神社
- 家庭
- 恋愛
- 金運
951年創建の港区の社で、江戸時代の社殿が震災も戦災も免れて残っています。厄除と縁結びで知られ、その理由を社自身が説明しています。
神社日枝神社
- 仕事運
- 子宝
- 金運
永田町の緑の高台にある社で、かつては江戸城の鎮守でした。神使は猿で、「まさる」の読みにかけた説明を社自身が示しています。魔除け、勝負、そして縁結びは、そこからつながっています。
神社愛宕神社
- 仕事運
- 恋愛
- 金運
1603年に徳川家康の命で火防の神としてお祀りされた港区の高台の社で、馬で駆け上がったと伝わる人物にちなむ石段で知られています。
寺院増上寺
- 仕事運
- 家庭
- 金運
1393年創建の芝の浄土宗の寺で、徳川家の菩提寺に選ばれました。秘仏のご本尊は勝運の黒本尊と呼ばれています。
条件に合うスポットがありません