大國魂神社
Okunitama Shrine · Ōkunitama Jinja · 武蔵総社六所宮
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ひとことで言うと
府中にある武蔵国の総社。社伝の創建は111年で、ご祭神の大國魂大神は出雲の大国主神と同じ神です。

基本情報
- 住所
- 東京都府中市宮町3-1
- アクセス
- 京王線の府中駅から徒歩5分、JR武蔵野線・南武線の府中本町駅からも徒歩5分です。
- 参拝時間
- ご祈祷は毎日9時から16時まで、予約なしで受け付けています。神事や行事があるとお待ちいただくことがある、と社は案内しています。電話でのお問い合わせは17時までです。
- おすすめの時間帯・時期
- 5月初めのくらやみ祭がいちばん大きな祭です。ほかに梅まつりと11月の酉の市があり、社は2026年を鎮座1900年と数えます。
- ご祭神・ご本尊
- 大国主命
この場所について
大國魂神社は府中駅から徒歩五分、かつて武蔵国の国府が置かれた地に鎮座しています。創建を111年とし、2026年を鎮座千九百年と数えています。ご祭神は大國魂大神。社の説明では、出雲の大国主神と同じ神です。厄除・厄払い、縁結び、そして福神として知られています。現在の社殿は1667年、将軍の命によって建てられたものです。
由緒と歴史
社伝では創建は111年5月5日、大神の託宣によるものです。出雲臣天穂日命の子孫が武蔵国造に任じられてのち、以後この社に奉仕しました。
この社の位置づけは、伝説よりも国のしくみから来ています。645年の大化の改新ののち、武蔵国の国府がこの地に置かれ、社は国衙の祭祀の場となりました。国司が国内の祭祀を司る場所です。国司には国中の社を巡拝する務めがあったため、国内の神々をここに合わせ祀りました。これが武蔵総社の起こりです。のちに国内でよく知られた六社が本殿の左右に祀られ、六所宮とも呼ばれるようになりました。
1182年、源頼朝は葛西三郎清重を使者としてこの社に遣わし、妻・北条政子の安産を祈願させました。1186年には社殿を造営させています。1232年にも修造が行われました。1590年に徳川家康が江戸に入ると、武蔵国の総社として五百石を寄進しています。
1646年の火災で社殿は焼失しました。今建っているのは1667年、将軍家綱の命により久世広之が造営したもので、三殿を横に連ねた朱塗りの社殿です。流造の屋根はもと檜皮葺で、1860年代に銅板に葺き替えられました。本殿は都の文化財です。長く武蔵総社六所宮と称してきましたが、1871年に古い社名に戻しています。
ご利益とされてきたこと
出雲と同じ神
社の説明では、大國魂大神は出雲の大国主神と同じ神です。武蔵国を開き、人々に衣食住と医薬の道を教えた神です。
史料に基づく八方に向けた厄除
ふつうの厄除に加えて八方除を行っています。家相、地相、方位、日柄から生じる災いを除くもので、社は自らを方位除けの神と位置づけます。
史料に基づく武蔵国の総社
645年以後この地に国府が置かれると、国司が一か所で巡拝できるよう国内の神々が集められました。うち六社は今も本殿の左右に祀られています。
史料に基づく1182年、頼朝が妻のために祈願
葛西三郎清重を使者として北条政子の安産を祈願させ、四年後に社殿を造営させました。
史料に基づく
社はこの神が何で知られているかを一文にまとめていて、このページのご利益はそこから取っています。俗に福神、また縁結び、厄除け・厄払いの神として著名である、という一文です。あわせて、社がこの神について語っていることも読んでおきたいところです。大國魂大神は遠い昔に武蔵国を開き、人々に衣食住の道を教え、医薬とまじないの法を授けました。日々の暮らしの条件そのものを整えた神と受け取られていて、そこからご神徳が出てきています。一つのご利益で知られる社とは立ち位置が違います。
神さまの同一視についても、社は推測にまかせず自ら述べています。大國魂大神は出雲の大国主神と同じ神であり、素盞嗚尊の御子である、と。このページが赤坂氷川神社と同じご祭神のまとまりに入るのはそのためです。あちらは大己貴命という別の名で祀っています。
実際的なほうが厄除です。ふつうの厄年の御祈祷に加えて八方除を行っています。社の説明では、家相、地相、方位、日柄から生じるあらゆる災いを取り除く御祈祷です。方位除けの神としての御神徳は全国から仰がれている、ともしています。厄年と八方塞がりの年齢表は毎年公表されています。
歴史の一こまが、今の御祈祷の一覧と妙にうまく重なっています。1182年、源頼朝は使者を遣わして妻・北条政子の安産を祈願させました。安産祈願は今も社の御祈祷にありますが、社が自らを名のる際に挙げているものではありません。
記述ごとの根拠 7
- The shrine dates its founding to 5 May in the year 111, on an oracle of the deity, and relates that descendants of Izumo no Omi Ame no Hohi served it after being appointed provincial governors of Musashi. 言い伝え
- After the Taika reform of 645 the provincial capital of Musashi was placed here and the shrine became the ritual ground of the provincial office; the deities of the province were enshrined together so the governor could make his round in one place, which is the origin of the Musashi provincial shrine. 史料に基づく
- The shrine states that Ōkunitama no Ōkami is the same deity as Ōkuninushi of Izumo and a child of Susanoo, that he opened the land of Musashi and taught its people food, clothing and shelter along with methods of medicine and charms, and that he is popularly known as a deity of fortune, of the tying of bonds, and of warding off misfortune. 史料に基づく
- In 1182 Minamoto no Yoritomo sent Kasai Saburō Kiyoshige here as envoy to pray for the safe delivery of his wife Hōjō Masako, and in 1186 had the shrine hall built. 史料に基づく
- Tokugawa Ieyasu granted the shrine 500 koku after entering Edo in 1590, as the provincial shrine of Musashi. 史料に基づく
- The halls burned in 1646 and the present buildings were erected in 1667 by Kuze Hiroyuki on the order of the shogun Ietsuna: three halls joined side by side in vermilion under a flowing roof, whose cypress bark was replaced with copper in the 1860s. The main hall is a designated cultural property of Tokyo. 史料に基づく
- The shrine performs happō-yoke, warding in all eight directions, which it describes as removing misfortune arising from the physiognomy of a house, the land, a direction or the date. 史料に基づく
参拝のポイント
作法は下の参拝ガイドのとおりですが、この社は自らの参拝の作法も公表していて、ここではそちらに従うのがよいでしょう。二点、ふつうより具体的です。鳥居をくぐる前に一礼すること、そして参道の中央は神様の通り道なので端を歩くことです。
御祈祷は予約不要で、9時から16時まで随時受け付けています。ただし神事や行事があると長く待つことがある、と社ははっきり断っています。祭事の多い社ですから、知っておいて損はありません。
5月初めのくらやみ祭は静かな行事ではありません。開催中の境内は、落ち着いて参拝する場所ではなくなります。
関連ガイド
- 参拝の作法は、どこがどう示しているか手水、二拝二拍手一拝、そして寺院での合掌と焼香。全国におおむね共通する部分について、神社本庁と各寺院が自ら公表している説明をたどります。
- 「パワースポット」とは何なのか伝統的な宗教の区分ではなく、現代日本語の語彙です。言葉がどこから来たのか、何を主張していて何を主張していないのか、それでも当サイトがこの語を使う理由。
- 神社と寺——1868年が分けたもの神社は神道、寺院は仏教。ただしその線を制度として引いたのは1868年で、それ以前の千年あまり、両者は一つの体系でした。境内に残る継ぎ目と、文化庁の統計が示す数字。
- お守り・絵馬・おみくじ・御朱印の由来絵馬はもともと生きた馬の代わりであり、御朱印は納経の受取に由来します。四つについて神社本庁と宮城県神社庁が公表している説明と、御朱印をめぐる七か条。
出典
- History and origins (歴史・由緒) — Okunitama Shrine (閲覧日 2026-08-02)
- Warding and prayers (厄除け・ご祈祷) — Okunitama Shrine (閲覧日 2026-08-02)
- Visiting (参拝について) — Okunitama Shrine (閲覧日 2026-08-02)
- Ōkunitama Shrine (Q611678) coordinate location — Wikidata (閲覧日 2026-08-02)
最終更新:
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