新川皇大神社
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ひとことで言うと
明治41年、発起人7名と氏子37名が鎮座祭に奉仕したことを由緒に記す社です。

基本情報
- 住所
- 北海道札幌市北区新川3条13丁目3番12号
この場所について
新川皇大神社は札幌市北区にある神社です。御祭神は天照大御神、豊受毘賣神、品陀和気命、大己貴命、少彦名命です。明治37年9月に地鎮祭を斎行しました。明治41年9月20日、発起人である小部貞治郎・木原常蔵ら7名と氏子37名が鎮座祭に奉仕しています。昭和15年9月、損傷により皇紀二千六百年記念事業として改築しました。昭和31年9月20日には、造営会長の近藤茂ら5名が発起人となり、氏子総代47名が本殿遷座祭に奉仕しています。例祭は9月22日、宵宮祭は9月21日、後日祭は9月23日です。御利益についての記載はありません。
由緒と歴史
明治37年9月に地鎮祭を斎行しました。
明治41年9月20日、発起人である小部貞治郎・木原常蔵ら7名と氏子37名が鎮座祭に奉仕しています。
昭和15年9月、損傷により皇紀二千六百年記念事業として改築しました。昭和31年9月20日には、造営会長の近藤茂ら5名が発起人となり、氏子総代47名が本殿遷座祭に奉仕しています。
ご利益とされてきたこと
発起人7名と氏子37名
明治41年9月20日、発起人である小部貞治郎・木原常蔵ら7名と氏子37名が鎮座祭に奉仕しました。
史料に基づく明治37年の地鎮祭
明治37年9月に地鎮祭を斎行しました。
史料に基づく皇紀二千六百年記念事業としての改築
昭和15年9月、損傷により皇紀二千六百年記念事業として改築しました。
史料に基づく
この社の由緒が数えているのは、着いた人ではなく祭に奉仕した人です。発起人小部貞治郎・木原常蔵ら7名と氏子37名が鎮座祭奉仕——七名と三十七名。昭和31年の本殿遷座祭でも、発起人5名と氏子総代47名が数えられています。
札幌の社は人数をよく記します。琴似神社の240戸、西野神社の五戸、手稲神社の250戸、江南神社の220世帯1056名、相馬神社の65戸203人。ただしそれらはみな、移り住んできた人の数です。ここだけが、儀式の場に立った人の数を残しています。移住の記録ではなく、祭の記録です。
名前を残された人も複数います。小部貞治郎、木原常蔵、そして昭和31年の造営会長・近藤茂。この一覧の札幌には、三吉神社の木村藤吉や諏訪神社の上島正のように一人の名を残す社が多くありますが、ここは複数の名を並べています。
改築の理由は時世でした。昭和15年9月、損傷により皇紀二千六百年記念事業として改築した、と社は記します。傷んだことと、その年に行われた記念事業とが、一つの文に収まっています。
関連ガイド
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出典
- 新川皇大神社 — 北海道神社庁札幌支部 (閲覧日 2026-08-16)
最終更新:
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