漢拏山 観音寺

寺院 · 済州島

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ひとことで言うと

漢拏山の麓にある曹渓宗第二十三教区本寺で、1909年春に比丘尼の蓬廬観が建てた寺です。

The precinct of Gwaneumsa on the slope of Hallasan, Jeju.
Grapesurgeon / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0)

基本情報

住所
済州特別自治道済州市山麓北路660
ご祭神・ご本尊
観音菩薩

この場所について

漢拏山観音寺は済州市アラ洞にある寺で、大韓仏教曹渓宗第二十三教区の本寺です。『韓国民族文化大百科事典』は創建者と創建年代が不明であると記し、朝鮮粛宗のときの済州牧使であった李衡祥が済州には雑神が多いとして多くの祠堂とともに寺刹五百棟を廃寺にした際、この寺も廃墟になったと書いています。今の観音寺は1909年春に比丘尼の蓬廬観が創建したものです。蓬廬観は済州島の人で、1901年に飛揚島へ向かう途中で風浪に遭い死に瀕したとき観音菩薩の神力によって助かり、1907年に比丘尼となりました。1908年に済州島へ戻って四月に慶讃斎を開きましたが、その後住民が反対して殺そうとしたため漢拏山へ避難し、翌年の春にこの地へ寺を建てました。1910年には龍華寺から仏像と幀画を移して安置しています。1949年1月、済州4・3によって全焼し、1968年に重創しました。現在は済州島の末寺およそ三十を管轄しています。

由緒と歴史

創建者と創建年代は知られていません。ただ、朝鮮粛宗のときの済州牧使であった李衡祥が済州には雑神が多いとして多くの祠堂とともに寺刹五百棟を廃寺にした際、この寺が廃墟になったと事典は記しています。

今の観音寺は1909年春に比丘尼の蓬廬観が創建したものです。蓬廬観は済州島の人で、1901年に飛揚島へ向かう途中でたまたま風浪に遭い死に瀕したとき、観音菩薩の神力によって助かり、1907年に比丘尼となりました。

1908年に済州島へ戻り、四月に慶讃斎を開きました。その後、住民が反対して殺そうとしたため漢拏山へ避難し、1909年春に漢拏山に観音寺を創建しました。1910年には龍華寺から仏像と幀画を移して観音寺に安置しています。

1949年1月、済州4・3によって寺はすべて焼け、1968年に重創しました。今は曹渓宗の本寺として済州島の末寺およそ三十を管轄しています。

ご利益とされてきたこと

  • 由緒厄除け

    観音菩薩の神力によって助かり

    蓬廬観は1901年に飛揚島へ向かう途中で風浪に遭い死に瀕したのち助かり、1907年に比丘尼となりました。

    言い伝え
  • 由緒

    避難の果てに建てた寺

    1908年に慶讃斎を開いたのち住民が反対して殺そうとしたため漢拏山へ避難し、1909年春にこの地へ寺を建てました。

    史料に基づく
  • ここでできること

    第二十三教区本寺

    今は曹渓宗の本寺として済州島の末寺およそ三十を管轄しています。

    史料に基づく

この寺の来歴には空白が二度あります。一度は創建者と創建年代がないことであり、もう一度は李衡祥が祠堂と寺を一緒に取り払ったときに廃墟になったことです。このサイトが扱う地域のうち、宗教の場が官の手で一度消され、また建て直された土地は済州だけです。同じ済州の法華寺も、同じ牧使の名を自らの来歴に書き留めています。

建て直したのは女性でした。蓬廬観は海で死にかけたのち比丘尼となり、島へ戻って斎を開いたところ住民の反対で命が危うくなり、漢拏山へ逃れました。寺はその避難の果てに建てられています。一つの教区の本寺が、創建者の追い上げられた場所から始まったことになります。

何を祈れる寺なのかも、その話の中にあります。事典が記すのはご利益の一覧ではなく一文、観音菩薩の神力によって助かった、という一文です。水から引き上げられた出来事がこの寺の始まりに置かれています。

1949年1月、寺は済州4・3によってすべて焼けました。1968年の重創はその後のことです。この島で寺が失われたのは、これが二度目でした。

記述ごとの根拠 2
  • The temple was left in ruins when Governor Yi Hyeong-sang abolished five hundred temple buildings along with many shrines, and was founded again in the spring of 1909 by the nun Bongnyeogwan. 史料に基づく
  • It burned down entirely in January 1949 during the Jeju 4·3 and was rebuilt in 1968. 史料に基づく

関連ガイド

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出典

  1. 한라산 관음사(漢拏山 觀音寺) — 한국민족문화대백과사전 (閲覧日 2026-08-16)

最終更新:

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