小網神社
Koami Jinja · Koami Shrine · 東京銭洗い弁天
AIの支援を受けて調査・翻訳しています。記述には出典を付けていますが、誤りが残ることがあります。参拝時間・料金・閉鎖の有無は公式サイトでご確認ください。このサイトについて
ひとことで言うと
強運厄除の神として知られる日本橋の小さな社です。銭を洗う井戸があり、社殿は日本橋地域に唯一残る戦前の木造社殿です。

基本情報
- 住所
- 東京都中央区日本橋小網町16-23
- アクセス
- 東京メトロ日比谷線・都営浅草線の人形町駅から徒歩5分ほど、半蔵門線の水天宮前駅からも同じくらいです。日比谷線・東西線の茅場町駅からは少し歩きます。
- 参拝時間
- 社は境内の閉門時刻を定めていません。お守りなどの授与は9時から17時までです。
- おすすめの時間帯・時期
- 10月28日の弁財天の祭礼。境内は狭く、昼どきは周辺の会社員で混み合いますので、静かなのは早朝です。
- 公式サイト
- www.koamijinja.or.jp
この場所について
小網神社は日本橋のビルに囲まれた一角、社殿の幅ほどしかない敷地に建っています。知られていることは二つです。一つは強運厄除で、社はこれを雰囲気ではなく具体的な出来事から語ります。もう一つは、参拝者が硬貨を洗って持ち帰る井戸です。1929年の社殿は、日本橋地域に残る唯一の戦前の木造社殿です。
由緒と歴史
社は起こりを、恵心僧都の開いた萬福庵という庵に求めています。観音と弁財天の像を安置していた庵です。社はこれをおよそ千年前のこととしていますが、記録によるのではなく、恵心僧都の生没年から考えてのことです。
創建そのものは1466年とされています。当時、界隈に疫病が流行っていました。あるとき、網に稲穂がかかったという老いた漁師が庵を訪れ、数日を過ごします。ある夜、庵主の夢に開基が現れ、この老人を稲荷大神として敬えば病は治まると告げました。朝には老人の姿はありません。庵主がそれを村人に伝え、人々は老人を小網稲荷大明神として祀って社を建て、疫病は鎮まった、と社は伝えています。
これを聞いた太田道灌が訪れ、土地を寄進しました。周辺の町は慶長年間に小網町と名づけられます。神仏分離ののち1873年に村社となり、現在の社号になったのは戦後です。
社殿と神楽殿は1929年、関東大震災で先代を失ったあとに建てられました。棟梁は明治神宮の造営にも携わった内藤駒三郎です。二つとも戦火をくぐり抜け、現在は中央区の登録有形文化財です。
ご利益とされてきたこと
昇り龍と降り龍
社殿の向拝の左右に彫られています。昇り龍が参拝者の願いを神に届け、降り龍が神の徳を人のもとへ運ぶ、と社は説明しています。
史料に基づく銭洗いの井
弁財天像の傍らの井戸で銭を清め、財布に納めておくと金運に恵まれるとされています。東京銭洗い弁天という呼び名は近年広まったものだと社は記しています。
近年の広まり漁師と疫病、1466年
疫病の最中、網に稲穂がかかった老人が庵を訪れました。夢のお告げに従って稲荷として祀ったところ、病は治まったと社は記しています。
言い伝え日本橋に残る最後の戦前の社殿
1929年、明治神宮の造営に加わった内藤駒三郎の手によります。1945年にも焼けず、中央区の文化財に登録されています。
史料に基づく
この社は強運厄除の神として知られていて、めずらしいことに、その根拠を雰囲気ではなく出来事で語ります。挙げているのは三つです。氏子の出征者で、ここで出征奉告祭を行い御守を受けた方は全員が生還したこと。1945年3月10日の空襲で周辺一帯が焼き払われたとき、社殿も境内の建物も無事だったこと。そして1923年の関東大震災で先代の社殿が倒れたとき、宮司が御神体を抱いて近くの新大橋へ避難したところ、集まった人々は取り乱さず、橋は落ちず、多くの命が助かったことです。社は橋のたもとの避難記念碑を挙げていて、そこには人々が小網神社の御神体を拝んで加護を祈ったと刻まれています。いずれも社自身が伝えていることで、このページもそのように扱います。
同じことが木彫にも現れています。社殿の向拝には昇り龍と降り龍が向かい合って彫られ、強運厄除の龍として崇められてきました。社はそれぞれに役割を与えています。昇り龍は参拝者の願いを神に届け、降り龍は神の徳を人のもとへ運びます。
金運は三柱のうち二番目の神から来ています。弁財天と同一とされる市杵島比売命は、かつて同じ境内にあった寺に祀られていました。神仏分離でその寺が廃されたのち、1869年にこちらへ遷されています。舟に乗る姿から萬福舟乗弁財天と呼ばれます。その傍らに井戸があり、ここで洗った銭を財布に納めておくと金運に恵まれるとされています。東京銭洗い弁天という呼び名が近年広まったものであることを社は丁寧に断っているので、このページでも古い言い伝えではなく近年の広まりとして扱っています。三番目の福禄寿は、人徳・幸徳・財徳の三徳を授けるとされ、健康長寿の神としても信仰されています。
境内には見上げておきたいものが二つあります。神楽殿は五角形で、これはめずらしい形です。社殿の右手には養老の滝の彫刻があり、親を思う子の心が水を酒に変えたという古い話によります。
記述ごとの根拠 7
- The shrine dates its founding to 1466, relating that during an epidemic an old fisherman arrived at the hermitage on this site carrying rice ears caught in his net, that the founder appeared in a dream instructing that he be revered as Inari Ōkami, and that the sickness ended after the villagers did so. 言い伝え
- Ōta Dōkan donated land to the shrine, and the surrounding district was named Koami-cho after it in the Keichō era (1596-1615). 史料に基づく
- The present hall and kagura stage were built in 1929 under Naitō Komasaburō, a master carpenter who had worked on the construction of Meiji Jingu, and are registered cultural properties of Chuo ward; they are the only pre-war wooden shrine buildings remaining in the Nihonbashi district. 史料に基づく
- The carvings of a rising dragon and a descending dragon on the canopy of the hall are venerated as the dragons of strong luck and warding off misfortune; the shrine describes the rising dragon as carrying prayers to the deity and the descending dragon as bringing the deity's virtue to the worshipper. 史料に基づく
- The shrine records that parish soldiers who attended its send-off rite and received its charm all returned from the Second World War, that its buildings escaped the Tokyo air raid of 10 March 1945, and that after the 1923 earthquake the priest carried the deity bodies to Shin-Ohashi bridge, where the evacuation memorial records that people bowed to them and prayed for protection. 言い伝え
- The Benzaiten image, identified with Ichikishimahime, was moved here in 1869 from the neighbouring temple after that temple was abolished, and is called the Manpuku Funanori Benzaiten because it rides a boat. 史料に基づく
- Money washed in the well beside the Benzaiten image and kept in a wallet is said to bring fortune in money; the shrine states that the name Tokyo Zeniarai Benten has spread in recent years. 近年の広まり
参拝のポイント
作法は一般のとおりです。小網神社ならではの点を挙げます。
境内はごく狭く、昼どきは周辺のビルで働く人でいっぱいになります。待つ場所がなく、いちばん長い列はたいてい銭洗いの井戸のものです。
お焚き上げの設備がないことを、社ははっきり書いています。寺院で受けたお札やお守り、他社の熊手、だるま、神棚は引き取れません。大きなものを持ち込む前に社務所でお尋ねください。
授与品の郵送は行っていません。また御守やお札は売るものではなく授けるものであり、返品も交換もできない、と社は明記しています。
境内に閉門の時刻は定められていません。授与所は9時から17時までです。
関連ガイド
- 参拝の作法は、どこがどう示しているか手水、二拝二拍手一拝、そして寺院での合掌と焼香。全国におおむね共通する部分について、神社本庁と各寺院が自ら公表している説明をたどります。
- 「パワースポット」とは何なのか伝統的な宗教の区分ではなく、現代日本語の語彙です。言葉がどこから来たのか、何を主張していて何を主張していないのか、それでも当サイトがこの語を使う理由。
- 神社と寺——1868年が分けたもの神社は神道、寺院は仏教。ただしその線を制度として引いたのは1868年で、それ以前の千年あまり、両者は一つの体系でした。境内に残る継ぎ目と、文化庁の統計が示す数字。
- お守り・絵馬・おみくじ・御朱印の由来絵馬はもともと生きた馬の代わりであり、御朱印は納経の受取に由来します。四つについて神社本庁と宮城県神社庁が公表している説明と、御朱印をめぐる七か条。
出典
- Deities and history (ご祭神 / ご由緒) — Koami Shrine (閲覧日 2026-08-02)
- Guide to the grounds (境内のご案内) — Koami Shrine (閲覧日 2026-08-02)
- Visiting (ご参拝) — Koami Shrine (閲覧日 2026-08-02)
- Koami Shrine (Q106852453) coordinate location — Wikidata (閲覧日 2026-08-02)
最終更新:
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