上野東照宮

神社 · 東京

Ueno Toshogu · Ueno Tōshō-gū

AIの支援を受けて調査・翻訳しています。記述には出典を付けていますが、誤りが残ることがあります。参拝時間・料金・閉鎖の有無は公式サイトでご確認ください。このサイトについて

ひとことで言うと

1627年に徳川家康を祀って創建された上野公園内の社で、1651年の金色殿が上野戦争も震災も空襲もそのままくぐり抜けました。

The Chinese-style gate of Ueno Toshogu, gilded and carved, seen from the approach
Photo: Reggaeman, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

基本情報

住所
東京都台東区上野公園9-88
アクセス
JR各線、東京メトロ銀座線・日比谷線、京成線の上野駅から、公園を抜けて徒歩10分ほどです。JR山手線の鶯谷駅からも、北側から同じくらいです。
参拝時間
参拝の案内は社の公式サイトに掲載されています。透塀の内側とぼたん苑は有料で、参道は無料です。時間は季節によって変わりますので、お出かけ前にご確認ください。
おすすめの時間帯・時期
春は牡丹と桜、秋は紅葉とダリア展、正月は冬ぼたんです。参道の石灯籠と銅灯籠は、季節を問わず並んでいます。
ご祭神・ご本尊
徳川家康
公式サイト
www.uenotoshogu.com

この場所について

上野東照宮は上野公園の中にあり、およそ250の石灯籠と銅灯籠が並ぶ参道の奥に建っています。東照宮は徳川家康を神として祀る社で、ここには1651年に日光にならって建てられた金色の社殿が残っています。日光まで行けない江戸の人のために建てられたものです。社は、出世、勝利、健康長寿にとくにご利益があるとされ信仰されている、と述べています。

由緒と歴史

社の伝えるところでは、1616年2月4日、危篤の徳川家康の枕元に天海僧正と藤堂高虎が呼ばれ、三人が末永く一緒にいられる場所を作ってほしい、と家康が頼んだといいます。

天海は、当時は藤堂高虎の屋敷だった現在の上野公園の地を賜り、そこに寛永寺を開きます。1627年、その伽藍の一つとして東照社が造営されました。これが上野東照宮のはじまりです。1646年には朝廷から正式に宮号を賜り、東照宮となりました。

今立っている社殿は創建時のものではありません。1651年、三代将軍徳川家光が、日光東照宮にならって金色の社殿に建て替えました。日光まで足を運べない江戸の人のためです。このとき全国の大名からおよそ250基の灯籠が奉納されています。

この社がめずらしいのは、そのあとに起きたことです。幕末の上野戦争で寛永寺の大半が焼けましたが、火はここまで来ませんでした。関東大震災でも社殿は倒れていません。東京大空襲では、金色殿のすぐ裏手に焼夷弾が落ちて、不発でした。社はこれを御祭神の強運によるものとしています。明治の神仏分離で五重塔は寛永寺に移され、境内は狭くなりましたが、1651年の社殿はそのまま残っています。

ご利益とされてきたこと

  • 信仰・ご利益仕事運健康

    出世、勝利、健康長寿

    社はとくにご利益があるとされるものを三つ挙げています。出世、勝利、そして健康長寿です。評判にまかせず、自らの言葉で述べています。

    史料に基づく
  • 由緒

    日光を、近くに

    1651年、家光が日光東照宮にならって社殿を金色に建て替えました。日光まで行けない江戸の人のための場所として造られたものです。

    史料に基づく
  • 由緒

    不発だった焼夷弾

    社殿は上野戦争、1923年の関東大震災、そしてすぐ裏手に落ちて不発に終わった焼夷弾をくぐり抜けました。国の重要文化財です。

    史料に基づく

この社は、何のご利益があるとされてきたかを一文で述べています。このページのご利益はそこから直接来ています。出世、勝利、健康長寿にとくにご利益があるとされ信仰されている、というものです。前の二つがこのページの仕事のご利益で、意味あいは神田明神の勝守や増上寺の黒本尊と同じです。肩書きや昇進ではなく、競う相手のいる場面で勝つ、ということです。三つめが健康のご利益にあたります。

その理由はご祭神にあります。東照宮は徳川家康を東照大権現として祀る社で、全国に数多くあり、日光と久能山がよく知られています。ここでは家康とあわせて、吉宗と慶喜の二人の将軍も祀られています。

ただ、足を運ぶ価値があるのは、ご利益の一覧より建物のほうです。1651年の金色殿、透塀、唐門は国の重要文化財で、江戸初期の建築がそのまま残っている例はそう多くありません。上野戦争をくぐり抜け、関東大震災に耐え、金色殿の真裏に落ちた焼夷弾は不発でした。社はこれを御祭神の強運のたまものとしています。ただしここは正確に。社がそう言っているのは建物が残った理由についてであって、参拝者が何を期待してよいかという話ではありません。当サイトではその二つを分けて扱います。

社殿の内部は保存のため公開されていません。参道には、1651年の造替のときに全国の大名から奉納されたおよそ250基の灯籠が並びます。隣のぼたん苑はそれ自体が目的地になっていて、春のぼたんと、年始の冬ぼたんの時期に開きます。

記述ごとの根拠 6
  • The shrine was founded in 1627 as Tōshō-sha, one of the buildings of Kan'ei-ji, and was formally granted the title Tōshōgū by the court in 1646. 史料に基づく
  • The shrine relates that on 4 February 1616 the monk Tenkai and Tōdō Takatora were called to the dying Tokugawa Ieyasu, who asked that a place be made where the three of them could rest together in perpetuity. 史料に基づく
  • The gilded hall, openwork fence and Chinese-style gate standing today were rebuilt in 1651 by the third shogun Tokugawa Iemitsu in the manner of Nikko Toshogu, for Edo people unable to travel to Nikko, and around 250 lanterns were donated by daimyo from across the country at that time. 史料に基づく
  • The shrine states that it is believed to be of particular benefit for advancement in the world, for victory, and for health and long life. 史料に基づく
  • The buildings escaped the fire of the Ueno war, withstood the Great Kanto Earthquake, and survived the Tokyo air raids when an incendiary bomb fell directly behind the gilded hall and failed to explode; they are nationally designated Important Cultural Properties. 史料に基づく
  • Tokugawa Ieyasu is enshrined here as Tōshō Daigongen together with Tokugawa Yoshimune and Tokugawa Yoshinobu; the hall interior is closed to visitors for conservation. 史料に基づく

参拝のポイント

作法は一般のとおりです。上野東照宮ならではの点を挙げます。

社殿の内部は公開されていません。参拝者が見るのは、透塀の内側から見る金色殿の外観です。この区画は有料で、参道と灯籠の並ぶあたりは無料です。ぼたん苑は別料金で、季節ごとの開苑です。

ここは公園の中にある現役の社で、参道は上野公園を横切る人の通り道にもなっています。それが普通の状態であって、急いで通り抜けなければならないということではありません。

開門の時間と拝観料は、季節とぼたん苑の日程で変わります。思い込みで行かず、公式サイトでご確認ください。

関連ガイド

  • 参拝の作法は、どこがどう示しているか手水、二拝二拍手一拝、そして寺院での合掌と焼香。全国におおむね共通する部分について、神社本庁と各寺院が自ら公表している説明をたどります。
  • 「パワースポット」とは何なのか伝統的な宗教の区分ではなく、現代日本語の語彙です。言葉がどこから来たのか、何を主張していて何を主張していないのか、それでも当サイトがこの語を使う理由。
  • 神社と寺——1868年が分けたもの神社は神道、寺院は仏教。ただしその線を制度として引いたのは1868年で、それ以前の千年あまり、両者は一つの体系でした。境内に残る継ぎ目と、文化庁の統計が示す数字。
  • お守り・絵馬・おみくじ・御朱印の由来絵馬はもともと生きた馬の代わりであり、御朱印は納経の受取に由来します。四つについて神社本庁と宮城県神社庁が公表している説明と、御朱印をめぐる七か条。

出典

  1. About Ueno Toshogu and its cultural properties (見どころ) — Ueno Toshogu (閲覧日 2026-08-02)
  2. Access and map (交通・地図) — Ueno Toshogu (閲覧日 2026-08-02)
  3. Ueno Tōshō-gū (Q708550) coordinate location — Wikidata (閲覧日 2026-08-02)

最終更新:

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