載薬山 表忠寺

寺院 · 慶尚道

竹林寺 · 霊井寺

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ひとことで言うと

祠堂の「祠」が寺の「寺」に変わって名の定まった寺です。

The silver-inlaid bronze incense burner of Pyochungsa in Miryang.
HappyMidnight / Wikimedia Commons (CC BY-SA 3.0)

基本情報

住所
慶尚南道密陽市丹場面表忠路1338

この場所について

載薬山表忠寺は慶尚南道密陽市丹場面の載薬山にある寺です。元暁が創建した竹林寺を、新羅の興徳王のときに黄面が再建して霊井寺と改称した寺です。四溟大師を祭享する祠堂を当時の書院の格として表忠書院と扁額し、一般に表忠祠と呼びましたが、この祠堂を寺が守護してきたので、祠の字が寺の字に変わりました。祠堂の左右に禅院と教堂を建てましたが、郷校や書院の東西の斎室と同じかたちにしました。

由緒と歴史

表忠寺は、元暁が創建した竹林寺を新羅の興徳王のときに黄面が再建して霊井寺と改称した寺です。

四溟大師を祭享する祠堂を当時の書院の格として表忠書院と扁額し、一般に表忠祠と呼びました。この祠堂を寺が守護してきたので、祠の字が寺の字に変わったのです。

祠堂の左右に禅院と教堂を建てましたが、郷校や書院の東西の斎室と同じかたちにしました。

ご利益とされてきたこと

  • 由緒

    守っていたものの名を引き受ける

    四溟大師を祭享する祠堂を表忠書院と扁額し普通は表忠祠と呼びましたが、この祠堂を寺が守護してきたので、祠の字が寺の字に変わりました。

    史料に基づく
  • ここでできること

    書院の形式に従った配置

    祠堂の左右に禅院と教堂を建てましたが、郷校や書院の東西の斎室と同じかたちにしました。

    史料に基づく
  • 由緒

    竹林寺から霊井寺へ

    元暁が創建した竹林寺を、新羅の興徳王のときに黄面が再建して霊井寺と改称しました。

    言い伝え

この寺の名は、字が一つ変わることで定まりました。四溟大師を祭享する祠堂に表忠書院という扁額を掛け、普通は表忠祠と呼んでいたのですが、その祠堂を寺が守ってきたために、祠堂を意味する祠の字が寺を意味する寺の字に変わりました。寺が自分の守っていたものの名を引き受けたわけです。

建物の配置もその事情に従っています。祠堂の左右に禅院と教堂を建てながら、郷校や書院の東西の斎室と同じかたちにしました。寺のなかに書院の形式が入っています。

ここで祭享される四溟大師が出家した場所は、金泉の直指寺です。その寺の四溟閣は、十五歳でそこで出家した彼の影幀を祀った場所です。出家した寺と祭享する寺が、それぞれ慶尚のなかに残っています。

寺の前の名は二つあります。元暁が建てた竹林寺であり、新羅の興徳王のときに黄面が再建して霊井寺になりました。元暁は慶州の芬皇寺に留まり、祇林寺の名を変えた人でもあります。

記述ごとの根拠 2
  • The temple took its name from the Pyochung Seowon it guarded, with the character for shrine giving way to the character for temple. 史料に基づく
  • A Seon hall and a teaching hall flank the shrine in the arrangement of a Confucian academy’s east and west study halls. 史料に基づく

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出典

  1. 재약산 표충사(載藥山 表忠寺) — 한국민족문화대백과사전 (閲覧日 2026-08-16)

最終更新:

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