雑司ヶ谷鬼子母神堂
Zoshigaya Kishimojin-do · Kishimojin Hall · 鬼子母神堂 · 法明寺
AIの支援を受けて調査・翻訳しています。記述には出典を付けていますが、誤りが残ることがあります。参拝時間・料金・閉鎖の有無は公式サイトでご確認ください。このサイトについて
ひとことで言うと
1664年に建てられた雑司ヶ谷のお堂で、国の重要文化財です。子を奪う鬼であった神が、釈迦に子を失う意味を教えられて改心した、その神を祀ります。

基本情報
- 住所
- 東京都豊島区雑司が谷3-15-20
- アクセス
- 東京メトロ副都心線の雑司が谷駅は1番出口から徒歩5分、都電荒川線は鬼子母神前が最寄りです。池袋駅東口からは徒歩15分ほど、目白駅からも同じくらいです。
- 参拝時間
- ご祈祷は9時から17時まで電話で受け付けています。予約された方が先に案内されますので、当日のお申し込みはお待ちいただくことがあります。
- おすすめの時間帯・時期
- 10月中旬の御会式、7月初めの夏の市、7月末の盆踊り。大公孫樹が見頃を迎えるのは晩秋です。
- ご祭神・ご本尊
- 鬼子母神
- 公式サイト
- www.homyoji.or.jp
この場所について
鬼子母神堂は雑司ヶ谷の欅並木の突き当たりにあり、本寺である法明寺から数分離れた独立した境内に建っています。お堂は1664年のもので、1923年の関東大震災も1945年の空襲もくぐり抜け、2016年に国の重要文化財となりました。かたわらには都の天然記念物に挙げられた公孫樹が立ち、高さは約三十三メートル、樹齢七百年と伝えられています。
由緒と歴史
すべての中心にある鬼子母神像が見つかったのは1561年です。土地の領主に仕えた山村丹右衛門が清土の畦のなかから掘り出し、東陽坊という堂に安置しました。1578年、法明寺の境内で稲荷の森と呼ばれる一角に堂が建てられ、これが鬼子母神堂の始まりです。
現在の建物は1664年、加賀藩主の娘の寄進によって建てられました。三間四方の権現造で、内外に漆を施し、天井には金箔が置かれています。
その後については、起こらなかったことのほうが語るところの多い建物です。1923年の関東大震災も第二次大戦も、周囲がほとんど残らなかったこの一帯で、この堂だけは残りました。1960年に都の有形文化財に指定され、1976年から1979年にかけて解体修理が行われています。寺はこれを昭和の大修理と呼んでいます。2016年、国の重要文化財に指定されました。堂内には江戸時代の絵馬が掛かっていて、こちらも都の指定を受けています。
ご利益とされてきたこと
子を失って教えられた鬼
訶梨帝母は王舎城の子どもをさらっては食べていましたが、釈迦が末の子を隠しました。その悲しみが鬼を変え、かつて襲っていた人々を守る神になりました。
史料に基づく御祈祷はどれも子どものこと
授かること、安らかに産むこと、健やかに育つこと、そして泣きやまない子のための古くからの虫封じが挙げられています。
史料に基づく樹齢七百年の公孫樹
高さ約三十三メートル、幹回り約十一メートル。都の天然記念物で、子授け銀杏、子育て銀杏と呼ばれています。
史料に基づく二度、町より長く残った堂
1664年の建立で、1923年の震災も1945年の空襲もくぐり抜け、2016年に国の重要文化財に指定されました。
史料に基づく
鬼子母神は、ご利益を並べるより物語のほうが早く伝わります。並んでいるものの理由がその物語だからです。
法華経には守護の神として現れ、日蓮は十羅刹女を四方の鬼の母と記しました。日蓮宗の寺がこの神を経の護法神として祀るのはそのためです。その背後にインドの話があります。訶梨帝母という女は鬼となり、自らも千人の子を持ちながら、たびたび王舎城に出ては人々の子をさらって食べました。人々が釈迦に訴えると、釈迦は最愛の末の子ピンガラを隠します。千人のうち一人を失った悲しみのなかで、自分が何をしてきたのかを知って悔い、鬼から、仏の教えに従う人々を守る神へと変わりました。
ですからここでの信仰は、子どもを両側から見ています。寺が挙げる御祈祷がそのとおりです。子を授かること、安産、初宮参り、健やかに育つこと、そして泣きやまない乳児のための古い虫封じ。金運や出世を願いに行く場所ではなく、このページのご利益が一つだけなのもそれによります。
大公孫樹も、形を変えて同じことを言っています。寺は高さ約三十三メートル、幹回り約十一メートル、樹齢七百年としており、都の天然記念物であること、そして雄株であることを記しています。人々はこれを子授け銀杏、子育て銀杏と呼んできました。
境内はゆっくり歩く価値があります。参道の欅並木は四百年を超え、江戸の文人や絵師の題材になりました。境内の武芳稲荷堂は宇迦之御魂神を祀り、出世稲荷として知られ、商売や福徳によいとされています。ほかに不動堂、妙見堂、大黒堂があります。このお堂は古くからおせん団子で知られ、今も境内で売られています。
記述ごとの根拠 8
- The temple records that the Kishimojin image was found in 1561, dug from a field ridge at Seido by Yamamura Tan'emon, a retainer of the local lord, and housed at Toyobo. 史料に基づく
- In 1578 a hall was built to enshrine the image in the part of the Homyo-ji grounds called the Inari wood, which is the beginning of the Kishimojin-do. 史料に基づく
- The present main hall was built in 1664 by donation from a daughter of the lord of the Kaga domain: three bays square, gongen style, lacquered inside and out with a gold-leaf ceiling. 史料に基づく
- The hall survived the Great Kanto earthquake of 1923 and the Second World War, was designated a tangible cultural property by the Tokyo metropolis in 1960, was dismantled and repaired between 1976 and 1979, and was designated an Important Cultural Property of Japan in 2016. 史料に基づく
- The ginkgo in the grounds is a designated natural monument of the Tokyo metropolis, about 33 metres tall with a trunk about 11 metres around, said to be 700 years old, and is called the child-granting and child-rearing ginkgo. 史料に基づく
- The temple relates the Indian story that Hariti, a demon woman with a thousand children, repeatedly carried off and devoured the children of Rajagriha until the Buddha hid her youngest child Pingala, upon which she repented and became a deity who protects those who follow the Buddha's teaching. 言い伝え
- The rites the hall performs include prayers for conceiving a child, for an easy birth, for a child to grow well, and the rite for an infant who will not settle, alongside the ordinary prayers for household safety, health and passing examinations. 史料に基づく
- The Buho Inari hall in the grounds enshrines Uka-no-Mitama, is known as the Inari of advancement, and is said to be good for prosperity in trade and for fortune; the zelkova avenue leading to the hall is over four hundred years old. 土地の慣習
参拝のポイント
作法は寺院一般のとおりです。鬼子母神堂ならではの点を挙げます。
御祈祷は電話での予約制です。予約の方が優先されるので、当日その場で申し込むと待つことになります。予約の際に願意を伝えること、時間前に来て申込用紙に記入することを寺は求めています。
ここは観光地ではなく、住宅地のなかで日々営まれているお堂です。堂内の絵馬は指定文化財です。
十月中旬の御会式がいちばん大きな行事で、参道が人で埋まります。七月初めの朝顔市と月末の盆踊りはそれより小ぶりですが、やはり混みます。
公孫樹は生きている指定天然記念物です。根の上には立ち入らないでください。
関連ガイド
- 参拝の作法は、どこがどう示しているか手水、二拝二拍手一拝、そして寺院での合掌と焼香。全国におおむね共通する部分について、神社本庁と各寺院が自ら公表している説明をたどります。
- 「パワースポット」とは何なのか伝統的な宗教の区分ではなく、現代日本語の語彙です。言葉がどこから来たのか、何を主張していて何を主張していないのか、それでも当サイトがこの語を使う理由。
- 神社と寺——1868年が分けたもの神社は神道、寺院は仏教。ただしその線を制度として引いたのは1868年で、それ以前の千年あまり、両者は一つの体系でした。境内に残る継ぎ目と、文化庁の統計が示す数字。
- お守り・絵馬・おみくじ・御朱印の由来絵馬はもともと生きた馬の代わりであり、御朱印は納経の受取に由来します。四つについて神社本庁と宮城県神社庁が公表している説明と、御朱印をめぐる七か条。
出典
- History of Zoshigaya Kishimojin (雑司ヶ谷鬼子母神の歴史) — Homyo-ji (閲覧日 2026-08-02)
- About Kishimojin (鬼子母神について) — Homyo-ji (閲覧日 2026-08-02)
- Guide to the grounds (境内ガイド) — Homyo-ji (閲覧日 2026-08-02)
- Prayers (ご祈願) — Homyo-ji (閲覧日 2026-08-02)
- Access (アクセス) — Homyo-ji (閲覧日 2026-08-02)
最終更新:
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