騰雲山 孤雲寺

寺院 · 慶尚道

高雲寺

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ひとことで言うと

一人の号にちなんで名の漢字が変わった寺です。

The seated stone Buddha of Gounsa in Uiseong.
Wikimedia Commons (Public domain)

基本情報

住所
慶尚北道義城郡丹村面孤雲寺ギル415

この場所について

騰雲山孤雲寺は慶尚北道義城郡丹村面の騰雲山にある寺で、大韓仏教曹渓宗第十六教区の本寺です。681年に義湘が創建して「高雲寺」と称しました。その後、崔致遠が僧の如智・如事とともに駕雲楼と羽化楼を建立し、これを記念して崔致遠の字を取り「孤雲寺」と名を改めました。二つの名は朝鮮語では同じ読みで、変わったのは漢字だけです。1668年には克成・勝黙・徳宗らが駕雲楼を重修しました。

由緒と歴史

681年に義湘が創建して「高雲寺」と称しました。

その後、崔致遠が僧の如智・如事とともに駕雲楼と羽化楼を建立し、これを記念して崔致遠の字を取り「孤雲寺」と名を改めました。二つの名は朝鮮語では同じ読みで、変わったのは漢字だけです。

1668年には克成・勝黙・徳宗らが駕雲楼を重修しました。

ご利益とされてきたこと

  • 由緒

    「高」から「孤」へ

    崔致遠が駕雲楼と羽化楼を建立し、これを記念して彼の字を取り、「高雲寺」であった名が「孤雲寺」に変わりました。

    史料に基づく
  • 由緒

    義湘が建てた寺

    681年に義湘が創建して高雲寺と称しました。

    史料に基づく
  • ここでできること

    駕雲楼

    崔致遠が僧の如智・如事とともに建てた楼閣で、1668年に克成・勝黙・徳宗らが重修しました。

    史料に基づく

この寺は名の音をそのままにして、漢字だけを変えました。初めは「高雲寺」でしたが、崔致遠が駕雲楼と羽化楼を建てたことを記念して彼の字を取り、「孤雲寺」になりました。寺の名が一人の号を抱えることになったわけです。

崔致遠は慶尚のいくつかの場所に、それぞれ違うかたちで残っています。栄州の浮石寺と釜山の梵魚寺が引く海東華厳宗十刹の名簿は彼の書いた「法蔵和尚伝」に載っており、河東の双磎寺の真鑑禅師塔碑の碑文も彼が書きました。ここに残ったのは文字ではなく、名そのものです。

創建者は義湘です。栄州の浮石寺を建て、華厳宗をこの地に正式に広げたその人です。ですからこの寺には、義湘と崔致遠が創建と改名というかたちで重なっています。

駕雲楼は1668年に克成・勝黙・徳宗らが重修しました。

記述ごとの根拠 2
  • Uisang founded the temple in 681, and its characters were later changed to those of Choe Chi-won’s style name after he raised the Gaunnu and Uhwaru. 史料に基づく
  • The Gaunnu was repaired in 1668 by Geukseong, Seungmuk and Deokjong. 史料に基づく

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出典

  1. 등운산 고운사(騰雲山 孤雲寺) — 한국민족문화대백과사전 (閲覧日 2026-08-16)

最終更新:

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