八公山 把渓寺

寺院 · 大邱

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ひとことで言うと

観音菩薩像の中から王の道袍が出てきた寺です。

The precinct of Pagyesa on Palgongsan, Daegu.
Ken Eckert / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0)

基本情報

住所
大邱広域市東区把渓路741

この場所について

八公山把渓寺は大邱広域市東区の八公山にある寺で、804年に心地王師が創建したと伝わります。中心の建物である円通殿は、発見された建立記録によれば1605年に工事を始めて1606年に完成し、正面三間・側面三間で内部は板敷きです。円通殿には木造観音菩薩坐像が奉安されており、1977年に金を塗り直した際、仏像の内部から英祖の道袍が出てきました。玄応は王が下した申し出を辞退し、かわりに先代の王たちの位牌を祀ることを願い出て、宣祖・粛宗・徳宗・英祖の位牌を祀る祈永閣を建てました。大邱把渓寺円通殿と乾漆観音菩薩坐像および腹蔵遺物は宝物に指定されています。

由緒と歴史

八公山把渓寺は804年に心地王師が創建したと伝わります。

中心の建物である円通殿は、発見された建立記録によれば1605年に工事を始めて1606年に完成しました。正面三間・側面三間で、内部は板敷きです。

円通殿には木造観音菩薩坐像が奉安されており、1977年に金を塗り直した際、仏像の内部から英祖の道袍が出てきました。

玄応は王が下した申し出を辞退し、かわりに先代の王たちの位牌を祀ることを願い出て、宣祖・粛宗・徳宗・英祖の位牌を祀る祈永閣を建てました。

ご利益とされてきたこと

  • 由緒

    内部から出てきた道袍

    1977年に金を塗り直した際、木造観音菩薩坐像の内部から英祖の道袍が出てきました。

    史料に基づく
  • 由緒

    辞退が生んだ祈永閣

    玄応は王の申し出を辞退し、かわりに先代の王たちの位牌を祀ることを願い出て、宣祖・粛宗・徳宗・英祖の位牌を祀る祈永閣を建てました。

    史料に基づく
  • ここでできること

    1605年に始まった円通殿

    円通殿は建立記録によれば1605年に工事を始めて1606年に完成しました。

    史料に基づく

この寺でもっともよく知られているのは、何かを取り出した出来事です。1977年に観音菩薩坐像へ金を塗り直そうとして開けたところ、内部から英祖の道袍が出てきました。王が着ていた衣が仏像の中に入っていたのです。

大邱の寺はこうした箇所をいくつも持っています。前山の隠寂寺は王建が三日隠れた洞窟から名を得ており、北地蔵寺は建物の本来の名が上棟の記録の中に二百五十年あまり残っていて解体修理のときに現れ、八公山の符仁寺は避難させてきた大蔵経板を失いました。隠して、また出てくる話がこの都市の山で繰り返されます。

もう一つ残っているのは辞退です。玄応は王の申し出を受けず、かわりに先代の王たちの位牌を祀らせてほしいと願い出ました。そうして宣祖・粛宗・徳宗・英祖の位牌を祀る祈永閣が建ちました。辞退が建物一棟になったことになります。

建物の年代ははっきりしています。円通殿は1605年に始まり1606年に完成しました。創建のほうは伝承であり、804年に心地王師が建てたと伝わります。

記述ごとの根拠 2
  • A robe of King Yeongjo was found in the cavity within the Avalokitesvara image during a regilding in 1977. 史料に基づく
  • Hyeoneung declined a royal offer and built the Giyeonggak to hold the tablets of Seonjo, Sukjong, Deokjong and Yeongjo. 史料に基づく

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出典

  1. 팔공산 파계사(八公山 把溪寺) — 한국민족문화대백과사전 (閲覧日 2026-08-16)

最終更新:

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