唐招提寺

寺院 · 奈良

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ひとことで言うと

唐から渡来した鑑真和上が、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場として開いた、律宗の総本山です。

The main hall of Toshodai-ji in Nara.
Tsuyoshi chiba / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0)

基本情報

住所
奈良県奈良市五条町13-46

この場所について

唐招提寺は奈良市にある寺で、律宗の総本山です。鑑真和上は東大寺で5年を過ごしたのち、新田部親王の旧宅を賜り、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。金堂は弟子の如宝によって完成されました。

由緒と歴史

鑑真和上は東大寺で5年を過ごしたのち、新田部親王の旧宅を賜りました。

天平宝字3年(759)、戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。これが唐招提寺です。

金堂は、弟子の如宝によって完成されました。寺は律宗の総本山です。

ご利益とされてきたこと

  • 由緒

    759年、戒律の道場として

    天平宝字3年(759)、鑑真和上が戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。

    史料に基づく
  • 由緒

    新田部親王の旧宅

    鑑真和上は東大寺で5年を過ごしたのち、新田部親王の旧宅を賜りました。

    史料に基づく
  • ここでできること

    弟子が完成させた金堂

    金堂は弟子の如宝によって完成されました。寺は律宗の総本山です。

    史料に基づく

この寺は、学ぶ場所として始まりました。戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開いた——寺が伝える始まりはその一文で、参拝者のためではなく修行する者のための施設だと書かれています。御利益にあたる記述はありません。ですからこのページも願い事の分類をつけていません。

開いたのは唐から渡ってきた鑑真和上です。この一覧には、その鑑真とつながる場所がもう一つあります。京都の鞍馬寺は、鑑真和上の高弟・鑑禎上人が宝亀元年(770)に開いた寺で、鞍馬寺自身が「奈良・唐招提寺の鑑真和上の高弟」と書いています。師の寺と弟子の寺が、奈良と京都に分かれて残っていることになります。

場所も譲り受けたものです。鑑真は東大寺で5年を過ごしたのち、新田部親王の旧宅を賜りました。皇族の住まいが、そのまま修行の場になっています。

金堂を完成させたのは鑑真自身ではなく、弟子の如宝でした。

記述ごとの根拠 2
  • Ganjin opened Toshodai-ji in 759 as a place of practice for people studying the precepts, on the former residence of Prince Niitabe granted to him after five years at Todai-ji. 史料に基づく
  • The main hall was completed by his disciple Nyoho, and the temple is the head temple of the Ritsu school. 史料に基づく

関連ガイド

  • 参拝の作法は、どこがどう示しているか手水、二拝二拍手一拝、そして寺院での合掌と焼香。全国におおむね共通する部分について、神社本庁と各寺院が自ら公表している説明をたどります。
  • 「パワースポット」とは何なのか伝統的な宗教の区分ではなく、現代日本語の語彙です。言葉がどこから来たのか、何を主張していて何を主張していないのか、それでも当サイトがこの語を使う理由。
  • 神社と寺——1868年が分けたもの神社は神道、寺院は仏教。ただしその線を制度として引いたのは1868年で、それ以前の千年あまり、両者は一つの体系でした。境内に残る継ぎ目と、文化庁の統計が示す数字。
  • お守り・絵馬・おみくじ・御朱印の由来絵馬はもともと生きた馬の代わりであり、御朱印は納経の受取に由来します。四つについて神社本庁と宮城県神社庁が公表している説明と、御朱印をめぐる七か条。

出典

  1. 唐招提寺について — Toshodai-ji (閲覧日 2026-08-15)

最終更新:

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