興福寺

寺院 · 奈良

山階寺 · 厩坂寺

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ひとことで言うと

669年に藤原鎌足の妻・鏡大王が山階陶原に建てた山階寺を起源とし、二度の移転を経て710年に藤原不比等が平城京に移して興福寺と号した寺です。

The central golden hall of Kofuku-ji in Nara.
Cun Cun / Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0)

基本情報

住所
奈良県奈良市登大路町48

この場所について

興福寺は奈良市にある寺です。669年、鎌足の妻・鏡大王が山階陶原に山階寺を造営し、鎌足の釈迦三尊像を安置したのが起源とされます。672年に厩坂へ移って厩坂寺となり、710年、藤原不比等が厩坂寺を平城京左京3条7坊に移して興福寺と号しました。寺の沿革には御利益についての記載がありません。

由緒と歴史

669年、鎌足の妻・鏡大王が山階陶原に山階寺を造営し、鎌足の釈迦三尊像を安置しました。

672年、寺は厩坂に移り、厩坂寺となりました。

710年、藤原不比等が厩坂寺を平城京左京3条7坊に移し、興福寺と号しました。

ご利益とされてきたこと

  • 由緒

    669年、鏡大王の山階寺

    鎌足の妻・鏡大王が山階陶原に山階寺を造営し、鎌足の釈迦三尊像を安置しました。

    史料に基づく
  • 由緒

    710年、不比等が平城京へ

    藤原不比等が厩坂寺を平城京左京3条7坊に移し、興福寺と号しました。

    史料に基づく
  • ここでできること

    三つの名前

    山階寺、厩坂寺、興福寺と、移転のたびに名前が変わっています。

    史料に基づく

この寺は二度動き、そのたびに名前が変わっています。山階陶原に建った山階寺が、厩坂に移って厩坂寺になり、平城京に移って興福寺になりました。今の名前は三つ目です。同じ一覧の薬師寺も、新しい都へ移された寺です。

最初に建てたのは鎌足の妻・鏡大王で、そこに鎌足の釈迦三尊像を安置したと沿革は記します。夫の像を納めるために妻が堂を建てたということまでが書かれており、それ以上の事情は書かれていません。

平城京へ移して興福寺と名づけたのは藤原不比等です。同じ奈良の春日大社は藤原氏の氏神で、氏の神社と氏の寺が、この一覧では並んで載っていることになります。

寺の沿革は年表の形をとっており、御利益にあたる記述はどこにもありません。ですからこのページも願い事の分類をつけていません。

記述ごとの根拠 2
  • Kofuku-ji originated in 669 as Yamashina-dera, built by Kamatari’s wife Kagami no Okimi to house Kamatari’s Shaka triad. 史料に基づく
  • It moved to Umayasaka in 672 as Umayasaka-dera, and in 710 Fujiwara no Fuhito moved it into the new capital and named it Kofuku-ji. 史料に基づく

関連ガイド

  • 参拝の作法は、どこがどう示しているか手水、二拝二拍手一拝、そして寺院での合掌と焼香。全国におおむね共通する部分について、神社本庁と各寺院が自ら公表している説明をたどります。
  • 「パワースポット」とは何なのか伝統的な宗教の区分ではなく、現代日本語の語彙です。言葉がどこから来たのか、何を主張していて何を主張していないのか、それでも当サイトがこの語を使う理由。
  • 神社と寺——1868年が分けたもの神社は神道、寺院は仏教。ただしその線を制度として引いたのは1868年で、それ以前の千年あまり、両者は一つの体系でした。境内に残る継ぎ目と、文化庁の統計が示す数字。
  • お守り・絵馬・おみくじ・御朱印の由来絵馬はもともと生きた馬の代わりであり、御朱印は納経の受取に由来します。四つについて神社本庁と宮城県神社庁が公表している説明と、御朱印をめぐる七か条。

出典

  1. 興福寺の歴史 — Kofuku-ji (閲覧日 2026-08-15)

最終更新:

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